巷ではフィルム写真が人気だ。
令和の時代にリコーがフィルムカメラの新製品(PENTAX 17)を発売したのは、それを象徴する出来事だろう。ほかにも富士フイルムは中国でフィルムカラーネガフィルム(C200とC400)の委託生産を開始している。
フィルム写真ブームの原動力のひとつは、デジタル写真とは違う「エモさ」だと言われている。
女性会社員(28)は「自撮りにはスマホは高画質すぎる」と語る。独特の粗く温かい質感が「エモい」と心が動かされるという。
引用元:「フィルムカメラ刺さルンです 若者に人気、企業再参入も」(日経電子版、2023年8月26日)
たしかに「フィルム写真はエモい。スマホなどの最新デジタル写真はエモくない」という言説には一理ある感じがする。ただ、研究者としての職業病か、どうしてもツッコミを入れたくなってしまう。
本当にフィルム写真だけがエモいのだろうか?
見通しを良くするために、最初に僕のなかでの結論を述べてしまおう。「デジタル写真もエモい。しかしフィルム写真とデジタル写真ではエモさが生じる時間軸が異なる」というのが僕の考えだ。
「エモい写真」とは何なのか
議論をブレさせないために、まずは「エモい」とは何なのかを確認しておこう。
Google 先生に聞いてみたところ、どうやら富士フイルムが「エモい」について解説したコラムを出しているらしい。社名にフイルムを冠する会社のコラムだなんて、フィルム写真を考察する上でこの上ない参考資料だ。
「エモい」という言葉は、若い世代を中心に浸透している俗語(スラング)です。「エモい」の意味は簡単にいうと「心が揺さぶられて、何とも言えない気持ちになること」。
「エモい」とは、ただ単に、嬉しい・悲しいという気持ちだけではなく、寂しい・懐かしい・切ないという気持ちや感傷的・哀愁的・郷愁的などしみじみする状態も含んでいます。
引用元:「『エモい』ってどんな意味?」(富士フイルムスクウェア)
なんとなく言いたいことは分かるが、やや抽象的すぎる。もう少し「写真」という枠組みに引き付けて理解したい。
ありがたいことに、この富士フイルムのコラムでは「どういう時に『エモい』を使うのか」という具体的なシチュエーションをいくつもあげてくれている。その中に「懐かしさを感じたとき」という分類がある。しかも、このシチュエーションにおける例文として「フィルムカメラで撮った写真がエモい」が挙げられている。まさしく僕らが検討している用例だ。
どうやらフィルム写真のエモさの秘訣は「懐かしさ」にあるようだ。何かしらによって懐かしさの感情を刺激する写真。それが「フィルムはエモい」の背景にあるメカニズムの一つだと考えていいだろう。
デジタル写真だって懐かしく感じる──ただし時間が経てば
では、僕たちが懐かしさを感じるのはフィルム写真だけなのか? デジタル写真では懐かしさを感じられないのだろうか?
もちろんそんなことはない。デジタルカメラで撮った写真であっても、写っている光景が遠い昔の思い出になるにつれて懐かしさが出てくるものだ。
僕の iPhone の写真アプリを見返せば、高校時代に教室で撮った写真や、大学受験で合格したときの記念写真、昔飼っていた犬の写真なんかが出てくる。どれもその時々の最新のデジタル機器で撮った写真たちだ。しかし、今となってはどの写真も僕にとってエモい存在である。
こういうことを言うと、「ここで言われている『懐かしさ』とは、写真の写り方に対するものであって、被写体に関する感情を指しているのではない」との反論が聞こえてきそうだ。
写真の粒子感だったり、ダイナミックレンジの狭さだったり、あるいはフォーカスの甘さのようなものに感じる「懐かしさ」こそ、フィルム写真の良さだという指摘だ。
たしかに現時点において、最先端のデジタル写真の写りにエモさを感じることはないだろう。そういう点では「フィルム写真はエモくて、デジタル写真はエモくない」と言える。
しかし未来永劫、現在のデジタル写真の写りに懐かしさを覚えることはないのだろうか?
未来の世界では、数億画素のイメージセンサーが一般的かもしれない。半世紀後には三次元の写真が当たり前になるかもしれない。あるいは、動画で撮影するのが当たり前になってしまい、そもそも「静止画を撮る」という行為が廃れてしまうかもしれない。
そうなった未来では、2024年時点で最先端の機器で撮影された写真も「写りが悪くて懐かしい」と思える存在に成り下がっているかもしれない。まるで今のフィルム写真のように。
フィルム写真を楽しむ若者は本当に時間をかけているのか?
「エモさ」(あるいは「懐かしさ」)という観点からフィルム写真とデジタル写真の違い考えると、それはエモさを今すぐに味わうのか、将来まで待って味わうのかの違いだと整理できるだろう。
こう考えると、冒頭で引用した新聞記事の中に引っかかる分析がある。
フィルムカメラが若者に支持される背景について、博報堂若者研究所のボヴェ啓吾氏は「不便でも時間をかける豊かさを感じられるアナログなものへの欲求も大きい」と指摘する。
引用元:「フィルムカメラ刺さルンです 若者に人気、企業再参入も」(日経電子版、2023年8月26日)
撮影してから写真を確認するという部分だけを切り出せば、デジタルカメラよりもフィルムカメラの方が手間も時間もかかる。そこだけ見れば、ここで指摘されている内容は正しいだろう。
しかし、冒頭で紹介したとおり、今フィルムカメラが人気なのは「エモい写真が撮れる」からである。つまり、ユーザーの目的は単に写真を写すことではなく、撮った写真を見てエモさを感じることにある。したがって、「所要時間」を考える際に、単に「写真が現像されるまでの時間」を尺度として用いるのはユーザーの目的意識に合っていない。「写真を見てエモさを感じるまでにかかる時間」で評価するべきではないか。
この評価基準を用いてフィルム写真とデジタル写真を比較すると立場が完全に逆転する。フィルム写真の方が圧倒的に早く、そして手軽にエモさを得られるのである。フィルム写真を楽しむ若者は、わざわざ時間をかけて写真を撮っているのではない。むしろフィルム写真を使うことで、エモさが熟成されるまでの時間を大幅に節約しているのである。
近年はタイパ(タイムパフォーマンス)に重き置く人が増えた。現像までに時間がかかるフィルムカメラはそんな時代に逆行した存在のように思える。しかし、数年〜数十年かかって懐かしさが醸成される過程をスキップできるという意味では、フィルムカメラは究極のタイパ商品なのかもしれない。
令和なのにフィルムカメラではない。令和だからフィルムカメラなのだ。
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